プロフィール

小加 純子について、自己紹介

はじめまして。自分愛してキラキラの人生に導くカウンセラーの小加純子といいます。

まず私自身のことを書かせていただきます。

私は現在50歳代後半で、

九州生まれで九州育ちです。

高校卒業後、就職、結婚退職、23歳の時に一人娘を授かりました。

結婚生活色々ありましたが、それは後で書くとして、23年結婚生活を続けて、

そろそろ、子育て卒業かなぁと思っていた矢先、離婚することになり、今は一人暮らしで一人の生活を満喫中です。

私の親は毒親だった

おそらく私は毒親育ちです。

この言葉は1990年ぐらいからあるようですが、自覚したのは10年くらい前でしょうか?

説明が本当に難しいのですが、対象が母です。

おそらく父もですが、母との接点が多いので私の中では母が対象です。

私の母について

おそらく母自身は、母の若い頃から中年になって、まだ生きているので晩年といつまでも変わることなく人生を全うしつつあります。

私の感覚なので本人はどう思っているかわかりません。

私は少しずつ運よく変われていると思うので、あまり母を責るような書き方はしないようにしたいと思います。

母は、私が知っている限りでは母にはトラウマ(心の傷)がありました。

⚫内臓の位置が人と違う

⚫若い頃男性経験で失敗した

詳しくは聞いてないですが、母の口から聞いたことがあります。

そのせいだと私は思っているのですが、「変な潔癖症」でした。

子供の頃は靴下を脱がないと家に上がれないとか。

玄関でずっといさせられたこと。

子供なので、テレビを見たい。

後で、玄関にいなかった事を責められ、嘘をついたこと。

「変な潔癖症」でしたが、そういう行動や思考をしている割には整理整理はできてませんでした。

そういうことに気づいていた私でしたが、母には言いませんでした。経験的にきいてくれると思っていませんでしたから。

私は長女なんです。それと関係しているか?いないか分かりませんが、

母は自分に心の傷を抱えていると思っていませんから、

感情を突発的に出してしまう性格なんだとおそらく思っていただけだと思います。

時には、自分の心の内を出すこともあり、私は子供ながらに「可哀想」とか「どうにかしてあげたい」だけど「何も出来ない」と感じ、自分の不甲斐なさを思うこともありました。

母の心の中というのは、父のことも含まれていました。父の愚痴を聞かされたこともありました。

父について

父は今思えば、アダルトチルドレンでした。インナーチャイルドを癒すことができず、現在は、晩年を迎えていますが、

私は、父に対しては、あまり会話をしてこなかった。という記憶があります。

だからこそ、愛情を受けてないという思いがあるのでしょうか?

父の事が好きになれない時期もありました。

というか、私の勝手につくりあげた父親像が好き。という感じです。

過去の事は忘れたいと思うのですが、

おそらく、自分の無意識の中に子供の頃の癒せない感情を放り込んでしまっています。

父のことも責めたくないので、弁解すると、

父の子供時代は戦争が終わり、小学生3年生頃?1番遊びたい時期にどこかの家(親戚)のお手伝いにいく。働くということをしいられていました。

おじいちゃん(祖父)は家族のため仕事に出て家にいない。おばあちゃん(祖母)は病名は聞いたことがないですが、私が物心ついた頃には、精神的な異常で、自分から話すことができない状態でした。おそらく体は異常はなかったんだと思います。自分から話さないといっても、例えば、「ご飯が食べたい」とかは話せるんですが、自分から会話をしようという思考は持ち合わせていませんでした。それは父が子供の頃からで、父が母から育てられたとかはないのだと思います。ですから父も母(祖母)からの愛着障害があると思います。

私の感覚として、二人共、共依存体質。

そんな私の両親は、結婚したからには添い遂げなきゃという、自分達の決め事の中、自分達の関係を全うしようとしていますが、夫婦の間にたくさん喧嘩や問題をたくさん抱えていたようです。父と母の問題なので、あらためて書きません。

そんな二人から育てられた私は他の家庭とは何かが違う。幸せな家庭とは思えず、幼少期を過ごしてきました。

今ではこのように淡々と書くことができていますが、こんなお父さんお母さんは嫌だと思ったのは、

いつの頃かはっきりは覚えていませんが、小学生低学年だと思います。

記憶では、小学生3年生から始まった

祖母と暮らすようになって、母は祖母に対して怒るようになりました。きっと私達に自分の考えを押し付けるように、祖母にも、押し付けたのだと思います。祖母はその意味がわかったのか?私には分かりませんんが、母の要求に答えることができません。

おそらく、理解できないし、なんとなく言っている意味がわかってたかもしれませんが、「できない」だったとおもいます。

私はそんな母を責めた事もあります。いろんなやり取りがありました。でも、母には伝わらなく、

母は母の価値観をもって、祖母を怒りました。

あの頃はご近所さんも見て見ぬふりをしてくれましたが、今では通報ものです。

相当な大声で怒ってましたから。

私たちきょうだいは、母に対して恥ずかしい思いを抱いていました。

子供時代は今でも隠したい思いがありますから、きっと封印したい思いが強いのだと思います。今でも過去の記憶が出てきませんし、昔の事を考える事が苦手です。無理くり思い出しても辛いことしかでてきません。楽しいこともあったのでしょうが、思い出せません。

転機は結婚

私の1つの転機は結婚です。

私は、自分の中で家を出るのは、「結婚」と決めていたので、結婚するということで、父と母から逃れる事ができました。

結婚生活でも、いろいろあったのですが、

まず、私は「幸せな結婚をする」という気持ちで、結婚生活を始めたのですが、

幸せとはどんなのが幸せなのか?具体的に描けず、淡い理想とバブル前の高い価値観が幸せな結婚と思っていたのでしょう。

今おもえば、私の理想とする結婚生活もバブルの時代と共にはじけました。

結婚して子供を授かり、妊娠四ヶ月という時期に、夫が仕事中に倒れ、後遺症で肝炎という病気もちになりました。生活もありますから、病気を仕事ができる状態まで治して仕事復帰はしてくれましたが、そうい妊娠中の時期に心おだとはいかない時間を過ごすことになりました。休職して治療する間、予定外のお金はかかる。でも、しょうがないという思いと自分の中で心配と不安を我慢して、誰も言えないつらさを過ごすことになります。

結局、夫は仕事を退職して、なかなか決まらない無職の期間は資格を取ると言って、必要経費を持っていき、その資格を使うことなく、別の仕事についたり、夫の無計画さには、不満が後程積もりました。

話は前に戻るのですが仕事を辞める時も仕事を辞める理由を「後輩にバカにされたから」次の仕事を決めることもなくて辞めてしまう。一応相談はしてくれて、「辞めていいか?」と言われたんですが、「相当悔しかったんだろうと思い」2つ返事で、「いいよ」いいました。

今では終わったことと思えますが、

貯金は底つき、将来の不安とお金の心配は尽きないことになり、いろんな経過をたどった結果ではありますが、この頃は結婚生活で辛いと思う事のはじまりです。

私が働いて家計を助けるというのは、娘が2歳からしていますが、だんだんと仕事が増えていき、一時期は3つの仕事を掛け持ちしている時がありました。

一つは本業の事務の仕事。二つ目は、土日派遣で結婚式の配膳の仕事。3つ目は、21時~24時という時間に整体の仕事をしていました。

体が疲れていたんだと思います。

ですから、いつの間にか、夫をせめている思考になっていました。

言葉には出していませんでしたので、不満をため、きっと顔にも出てていたのだろうとおもいます。

なので、結局、離婚という事になりました。

カウンセラーになる経緯

今では、そんな夫のも、父にも母にも感謝しないと行けないなぁとおもいます。

カウンセラーに職業につこうとしていて、私のできることがひとつ増えようとしているからです。

でも、子供時代や結婚生活では、苦しい思いを抱いていました。

母とはかなりぶつかりました。

解決出来ず、上手くいかない現実は、自分探しとなり、今では、それは深い迷路に迷う事だと思っています。(人に相談するのは苦手でしたし、自分の中では、相談するという思考を持ち合わせていませんでした。)

ただ、それも私にとっては必要な経験でした。

今、思うのは、自分という私を受け入れてないところがあり、

自分というものを知ろうとしないまま、自分をないがしろにしてました。

そういうつもりではなかったし、してないつもりでしたが、

まわりの現実は思う通りではなかったので、

それを考えたら、自分を置き去りにしたまま、すすんだつもりになり、グルグルと回るだけで、蟻地獄にはまっていました。

いろんなもののせいにし、言い訳をしてました。

その当時は、苦しい思いからぬけ出すために、自然とそうなったというのもありますが、

整体にしても、

普通なら、勇気を出して、店舗を、かまえて起業するのだと思いますが、

その時、整体の勉強をする為に、技術を習いに行ったのですが、そう簡単に満足がいく技術が手に入るわけでもなく、

資金もないまま、集客するにも大きな経費となるとおもい、独立しないまま今に至ります。

独立しない代わりに、15年間位、独学という形で、勉強を続けてきました。

心理学等についても、独学で知識を得て来ました。

整体というのも、東洋医学の分類に入ると思うのですが、

東洋医学の勉強をしているうちに、心と体は繋がっているというところから、

心という部分にふれるようになりました。

自分の生い立ちにも振り返り、10~15年と時間はかかりましたが、

自分の心も少しずつ、絡まった糸が解けている感じがします。

世代間の行き違い

私は昭和生まれです。

ここまで読んでくださった方には、本当に感謝します。

今、悩んだり、苦しい思いをしている方、昭和生まれの方と関わりで苦しんでいませんか?(人間関係)

私の世代は新人類世代と言われて、今は、Z世代というのでしょうか。

7つ位世代が変わって、

そのあいだに考え方や価値観も変わって、見えない事や心の感覚で翻弄させられる事が多いですよね。

見えない部分や心というのはとらえどころがない分、そこに翻弄され、いろんな辛い思いや悔しい思いをしている方は、案外いると私は思っています。

心の仕組みを紐解いていき、又、心を変えていけば現実も変わっていく可能性があります。

私は自分の人生を苦労するという道を選んで来てしまいました。

今では必要な苦労だったんだろうなと思えますが、

今は時代も変わって、私ほど苦労する必要はないと感じています。

はやく苦しみとか辛さから抜けてほしいですし、抜けれます。

そして、その後は、「あなたの人生を豊かなものにして欲しい」と思うのです。

最後に

先ずはこんな私ではありますが、(性格を簡単に書くと、長女なのでしっかりを装っていますが天然です)お話を聴かせてもらえませんか?

あなたのお気持ちを整理する為に、私に協力させてほしいです。

長い文を読んで頂きありがとうございます。

よろしくお願いします。

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